ポートフェスティバル 思い出深い小樽のお祭りでした

【追記】
アルバムを整理していましたら、ポートフェスティバルの時に露店で売っていた小瓶の写真やちらし、小樽港周航のチケットが出てきましたので、文末に添付しました。(2023.7.29)

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はじめに

7月になると小樽のお祭りの「ポート・フェスティバル イン オタル」を思い出します。

お祭りという言い方でよいのかわかりませんが、小樽の若者が中心となって小樽の埠頭で行われたイベントで、私も小樽に住んでいた時に、数年間、職場の人たちと露店を出店したことのある思い出深いものです。
そして、これは職場の人たちとの夏最後のお遊び行事でした。

「ポート・フェスティバル イン オタル」とは

「ポート・フェスティバル イン オタル」は、第一回が1978年7月に実施され、その後、16年続いた夏のお祭りです。現在は行われてなく、1994年の第十七回で終了してしまいました。

日時 : 7月の土曜日12時頃~日曜日夜まで
会場 : 運河周辺と小樽第3埠頭付近
内容 : 埠頭の広場メインステージ
     運河の艀(はしけ)の水上ビアガーデンおよびフォークステージ
     運河沿い露店
     石造倉庫シアター(ジャズ演奏の上映)
     落語ステージ 、ちびっこ広場
     メッセージ花火大会、カラオケ大会、プロレス広場
     小樽湾周航クルーズ  等々
主催 : ポートフェスティバル実行委員会
補足:
・実行委員会のメンバーは若者たちで結成され、企画・事務だけではなく、
 メンバー自ら会場設営も後片付けも行うという完全手作りのお祭りでした。
・会場の運河周辺とは、現在の小樽運河ではなく、小樽運河埋め立て前の運河です。
・ステージで演奏するのは、ほとんどがアマチュアの人たち。
・露店は、露天商ではなく、市民が申し込みをして出すという素人出店。
・フェスティバルの経費は、シンボルマークをプリントしたタオルとTシャツの販売、
 および、露店出店代です。途中からテレホンカードの販売もありました。
 また、会場での実行委員会直営のビアガーデンの売り上げも運営資金になっていました。
・第六回より艀(はしけ)の水上ビアガーデンが中止され、
 第八回より会場の運河周辺がなくなり小樽港第三埠頭のみになりました。
 道道小樽臨港線建設工事が始まったためです。

露店出店について

私は途中から職場の人たち7~8人で露店を出すことで参加しました。
どうして参加することになったのか覚えていませんが、何かを売ろうということではなく、参加したいという気持ちが先だったことは覚えています。何を売ればいいの?ということになり、贈答品など押し入れの中に眠っているもの、アクセサリー、小物類などなどみんなで持ち寄ることになりました。
でも、この露店は最初だけで、次からは別のものを売ることになりました。
なぜかというともう売るものがなくなったからです。

そこで考えたのが、仕事で毎日小瓶がいくつも廃棄されます。高さ3cm、5cm、8cmなどの無色の瓶です。それを洗って、ガラスに書けるマーカーペンで絵を書きました。小さい瓶は星や花などの模様柄、少し大きめのものは、スヌーピーなどのキャラクターや絵本に出てくる天使やかわいい妖精などを書きました。もともと蓋のない瓶でしたので、コルクで栓をして、瓶の口のくびれ部分に金のリボンを結びました。とてもかわいい仕上がりになりました。
作業は、仕事の空き時間とお昼休みを利用して進めましたが、私は、絵を書くのはまったくだめなので、こちらは上手な人たちにお任せをし、申し込みの手続きなど事務処理を主に行いました。

これがなかなか大変で、一番初めの時、参加申し込みをする会場の合同庁舎に行きましたら、まずフェスティバルの説明、露店申し込みの手続きの説明、さらに露店に参加することはイコール実行委員のメンバーになるのですよとの説明。実行委員のメンバーですから、当日のスタッフとしての作業協力、運用経費となるタオルとTシャツの販売も行うことになりましたし、集まりはフェスティバルの当日まで数回ありました。ただ、年数を重ねるごとにお祭りへの参加もベテランになり、集まりへの出席は自主的に減らしました。

出店のひとつのブースにはビール瓶用の四角いケースを4個とベニヤ板を一枚貸してくれます。ベニヤ板はそれなりに厚みがありしっかりしたもので、それが売り物を載せる台になります。ブースの横幅は隣との間隔があまりありませんでしたので3mほどだったでしょうか。申し込み後に場所の番号が決まりますので、毎年露店の場所は違いました。
売り物の小瓶は、50円、80円、100円と安いこともあり、子どもたちには結構人気がありました。その他、大きな面白い形のビンもあり、それも人気ですぐ売れていました。
毎日のように仕事で見ているビンも、普通の方々には珍しく面白いものだったようです。

当日の作業協力について

当日の作業協力の内容は、交通整理や、会場が運河や埠頭なので間違って海に落ちる人がいないように警備するというもので、一回一時間、2日間で計2時間でした。こちらは、職場の男性にお願いしました。
時には、人手不足で1時間が2時間になったり、突然、協力を求められたりすることもありましたが可能な限り協力しました。

花火大会

夜には、メッセージ付き花火大会がありました。
“〇〇さん好きだよ”“〇〇ちゃんありがとう”など一言メッセージを読んで一発の花火を上げてくれます。一発5000円でした。
通常の花火大会のような豪華さありませんが、一言メッセージは思わず笑顔になるような面白いものやほのぼのとしたものもあり疲れを癒してくれました。

小樽湾周航クルーズについて

船に乗って海の上から小樽の街の灯を見るというものです。
夜7時から、6便ほど出航しました。
私も友達が来た時にいっしょに乗りました。船は祝津の水族館に行く船だったと思います。イスに座って窓から外を見てもいいですし、狭いですがデッキで潮風にあたりながら夜景を見ることもできました。15分程度のナイトクルージングです。

手作りお祭りならではのこと

ステージは、2か所ほどありましたが、どちらもそばを通るだけで、ゆっくり見ることはできませんでした。会場内の露店は、親や友達が顔を見せてくれた時にはお店番をお願いしていっしょに見て回りました。手作りのものを見るのは楽しかったですし、興味深かったのは骨董品屋さんでした。本来のお店には入ったことはありませんでしたので、こういうものがこういう値段で売られているんだ、へっ~、と思ったことを覚えています。その他、雑貨、はきもの、古レコード、古本、おもちゃ、植木、木工細工、等々。はっきり言ってなんでもありです。露店の内容は毎年違い、それがまた楽しみの一つでした。すべて大安売りで、値切ることも可能です。どちらかというと大人の方が楽しめる露店だったように思い出されます。

夜は、会場が人でいっぱいになりました。暗くなる前に担当のスタッフが露店に2つのはだか電球を設置してくれます。暗くなってきたのにその電気配線の設置が来てないこともあり、薄暗い中で小瓶を売っていたこともありました。やっとスタッフが来て、遅くなってすみませんと言いながら、汗だくになって設置してくれました。毎年、昼も夜も台車で荷物を運ぶスタッフが会場を走り回っていましたが、それは手作りお祭りならではの光景でした。

露店の売上金で生ウニ丼

露店出店費用は、1ブース定額支払いと売り上げの20%支払う、どちらかを選択でき、私たちは後の方を選択しました。
会計をしていたのは私なのですが、合計がいくらだったのか記憶がありません。ただ、私たちは、お祭り当日の楽しさの他、もう一つ、楽しみがありました。みんなが準備から当日、後片付けまでがんばったのはそのもう一つの楽しみのためだったといっても過言ではないのです。それは、美国のふじ鮨へ生ウニ丼を食べに行くということです。その当時、1つ1800円でしたが、毎年値上がりしていて最後は2500円になっていたような。小樽から美国までは、車で一時間くらい。3台くらいに便乗してみんなで食べにいきました。売上金はみんなで生ウニ丼を食べるだけしっかりありました。

その他

今回、この文章を作成するのにポートフェスティバルのことをネットで調べていましたら、第二回実行委員長の小川原さんのブログがあり、そこに第一回の様子が書かれていました。記事は、写真も含めてA4で16ページほどもあるものですが、読みやすく、楽しく、一気読みしました。ここにほんの一部だけ抜粋させていただきます。
小川原さんは、観光雑誌にも載る小樽静屋通りにあるお蕎麦屋さんの「藪半」のご主人です。

第一回目で、ビデ足場を組むのも素人だった。
照明のオンオフも単純なスイッチ使用だった。
ステージのライトは工事用のレフランプだった。
もう、点いたり消えたりで「手づくり感」一杯どころか、すべて「本物の手づくり」だった(^^)

大国屋・ニューギン・丸井の三デパート広告が、まぶしかった。
この三デパート共同広告など、町の余程のイベントでなければ出してもらえない「広告世界」のひとつの格だった。
この広告が出ているイベントは、市民に、そしてイベント関係者に承認された、とされていた。
それが、第一回のポートフェスティバルにすでに登場していた。
市内広告業界の世界を知っている人は、皆、驚いた。
何かが動き、変わっていくときは、こういう現象が現れるのだった。
この広告を取ってきたスタッフに乾杯、だった。

「地域に生きる蕎麦屋親爺のもうひとつのまちづくり市民運動
[小樽運河保存運動 & 観光まちづくり編]」 より
記事タイトル:【私的小樽運河保存運動史】06.第一回ポートフェスティバル開催
掲載日:2015年4月6日

私は、もう一つ第一回実行委員長だった渡邊眞一郎(私の兄)の苦労にも乾杯、だった。
と思ったのでした。

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【追記の写真】
アルバムを整理していましたら、ポートフェスティバルの時に露店で売っていた小瓶の写真やちらし、小樽港周航のチケットが出てきましたので添付します。(2023.7.29)

*露店で売っていた小瓶などです。

*小樽港第三埠頭で行われていた時の会場案内図です。(1985年の時のもの)

*小樽港周航のチケット(1982年と1993年の時のもの)

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