映画「ドライブ・マイ・カー」の感想。—妻を失った男の喪失感から再生する物語。そして、村上春樹さんの世界観を感じられる映画。

映画「ドライブ・マイ・カー」を観ました。

カンヌ国際映画祭で受賞されたというニュースを見、映画の紹介としてよく見たのは、「愛する妻を亡くし、喪失感を抱えながら生きる主人公が、寡黙なドライバーとともに過ごすうちに、それまで目を背けてきたあることに気付かされる」という内容と、女性が運転している車の後部座席に乗っている西島秀俊さんの映像です。
なんか、難しそうだなあという思いが強く、観ようという思いにならなかったのですが、
その後も何度も同様の情報を知ることになり、これでもか、これでもか、と攻め立てられている感じがしてきて、観ておこうかなという感じになって、結局、観ることになってしまいました。
でも、具体的にどういう内容なのかよく分かっていませんでした。
原作も読んでいません。

映画の始めの方は、主人公役の西島秀俊さんと、妻役の霧島れいかさんとのシーンが淡々と流れ、車の中のシーンもよく理解できず、二人は何をしているのだろうと思っていましたら、妻の突然の死があり、お葬式に、そのあたりまで観たのですが、伝わってくるものがなく、内容を受け入れられない自分がいて、観るのをやめてしまいました。
伝わってくるもの、私の身体に入ってくるものは、受け止める器となるイメージとか、喜怒哀楽なんでもよかったですが何もありませんでした。

それでも、この映画のことが気になり、きっと何か心に残るものがあるはずと思い、内容について若干の情報を得て、イメージができる準備をして、再挑戦し、最後まで観ることができました。
それは、無理やり最後まで観たわけではなく、広島が舞台になり、その後、北海道までのドライブ中に主人公が変化していく部分では、受け止められない気持ちはもうなくなっていて、感動に変わっていました。
3時間と長い映画ですが、後半は、あっというまでした。

映画のテーマは、深く重たく、私の身体の中に入ったら入ったで、ずっしりと苦しくなっていたのですが、ラストのシーンでは、「あれ、これって、こういうこと?」と、私の心に光が差し込んで、心を明るく軽くしてくれました。

それぞれの出演者の演技も最高でした。
主役は家福さん(西島秀俊さん)という演出家なのですが、広島で出会った専属ドライバーのみさきさん(三浦透子さん)の存在が、この映画に無くてはならない大きなものであったと思いました。

[以下、ネタバレが含まれます]

あらすじは、ネットより引用します。

あらすじ
舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊さん)は、脚本家の妻・音(霧島れいかさん)と幸せに暮らしていた。しかし、妻はある秘密を残したまま他界してしまう。2年後、喪失感を抱えながら生きていた彼は、演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで広島へ向う。そこで出会った寡黙な専属ドライバーのみさきと過ごす中で、家福はそれまで目を背けていたあることに気づかされていく。
主人公・家福を西島秀俊、ヒロインのみさきを三浦透子、物語の鍵を握る俳優・高槻を岡田将生、家福の亡き妻・音を霧島れいかがそれぞれ演じる。
                        <ネットより引用>

・キャスト
家福悠介(西島秀俊)   舞台俳優・演出家
渡利みさき(三浦透子)  広島での専属ドライバー
家福音(霧島れいか)   家福悠介の妻、脚本家
高槻耕史 (岡田将生)  俳優
コン・ユンス(ジン・デヨン)  演劇祭関係者、韓国語通訳

・原作  村上春樹 短編小説集「女のいない男たち」収録の「ドライブ・マイ・カー」
         同短編集の中の「シェラザード」と「木野」も取り入れている。
・監督  濱口竜介
・脚本  濱口竜介 大江崇允
・プロデューサー 山本晃久
・公開日 2021年8月20日

*受賞内容
2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品、
   日本映画で初の脚本賞を受賞、
   その他、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞、も受賞。
2022年・第94回アカデミー賞では、日本映画史上初の作品賞にノミネートされ、
   その他、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、もノミネートされ、国際長編映画賞を受賞。
第79回ゴールデングローブ賞の最優秀非英語映画賞受賞、
   アジア人男性初の全米批評家協会賞主演男優賞受賞
日本アカデミー賞では、最優秀作品賞はじめ、計8冠に輝いた。

*ロケ地について
大部分の撮影は広島で行われました。
当初は、韓国の釜山で行う予定でしたが、コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、広島に変更になったそうです。
ロケ地として意識されたのは、車が走れる場所で、良いカメラポジションがあるかということだったそうです。
その他、東京、北海道などでロケが行われました。

*濱口監督について
世界中から熱い視線が注がれている濱口監督です。
2015年に監督、脚本を務めた「ハッピーアワー」が各国の国際映画祭で賞を受賞。
2018年の「寝ても覚めても」がカンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出、
2021年の「偶然と創造」は、ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞し、
監督としての評価を高めています。

濱口監督のコメントでは、「西島秀俊さんが家福役の決め手になったのは、「村上春樹の世界との親和性」だ、自分を出し過ぎず、決して率直さを失わない人柄が、村上流の主人公像全般のイメージと近かった」と言われています。
また、ロケ地が変更されたことについて、「残念だったし、脚本や設定を変えなければいけないというのは、もちろん大変だったが、結果的に広島という場所に巡りあえた。ロケーションの素晴らしさが十分に画面に収められたことは大きかった」とコメントしています。

その他、2020年に「スパイの妻」がヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞していますが、
この時、脚本家として参加していました。

感想① 村上春樹さんの世界観について
この映画は、村上春樹さんの短編集を元にした映画で、村上春樹さんの空気を感じることができて素晴らしいという感想を述べていた方も多いのですが、正直、私は、村上春樹さんの世界観が分からない人間です。もともと好きにはなれず、「ノルウェイの森」も「海辺のカフカ」も読んでいません。

女性に対して男性が抱く喪失感と、過去と現在を行き来する状況は、村上作品によく見られる描写であり、独特の世界感にハラハラドギトキさせられるのが村上春樹流だと言う人もいるので、この映画のイメージを村上春樹流だと思ってよいらしく、“淡々と過ぎていく”、私はそう感じましたが、それが世界観の一つなのだと思うことは、それはそれで間違ってはいないようです。

でも、やはり、この映画だけでは分からないと思うのが、正直なところです。
きっとこれからも村上さんの世界感は分からないことでしょう。

感想② 家福悠介の喪失感と悲しみ
初めて音さんの浮気を知った時、彼は気付かれないように家を出てその後は何事も無かったように振る舞いました。
一回だけでなく、また、お相手の方は一人ではなかったようですが、それでも、直接聞くことはしませんでした。

ある朝、音さんに「今晩、帰ったら、少し話せる」と言われます。
何を言われるのか気になり、夜遅くに帰宅します。
音さんは、くも膜下出血で亡くなっていました。

音さんは何を話したかったのか。
もしかしたら、このこと、あのこと、と、いろいろ考えてしまいますが、聞きたくてもその人はもうこの世にいない。モヤモヤします。
家福さんは、この時のことをみさきさんとのドライブ中に告白しています。
「音が亡くなった日、本当は用などなかった。でも音から話を聞いたたら、今までの生活は壊れてしまうだろう。そう思うと怖くて帰れなかった。もっと早く帰っていれば助けることができたかもしれないのに」
家福さんもモヤモヤしたまま、生きるしかありませんでした。

感想③ドライブ中の二人の会話から分かる二人が抱えている過去
映画の中で「ワーニャ伯父さん」という舞台が登場します。
その舞台の稽古中に事件が起きます。
そのことで、ワーニャ役を演じることになっていた高槻耕史さん(岡田将生さん)が降板してしまいます。
舞台を中止するか、この役を演じられる家福さんがワーニャ役を演じて予定通り開演するか、演出担当の家福さんに判断が求められます。猶予は3日間です。
家福さんが、専属ドライバーのみさきさんの生まれ育ったところに行きたいと言います。
生まれ育ったのは、北海道です。広島から北海道まで家福さんの車で行くことになり、ドライブのシーンが始まります。
車は、家福さんの愛車の真っ赤なSAABです。
この車も映画の中では、登場人物の一人のように存在感のあるものでした。

車の中での会話のシーン、海岸線を走るシーン、トンネルを走るシーン、昼のシーン、夜のシーン、本州から北海道に渡るフェリーのシーン、雪景色の中を走るシーン、、、。
とても素敵なシーンばかりでした。

車の中で、みさきさんは、母のことを話します。
5年前、大雨で地すべりが起き、家がつぶれ、自分は助かったけれども、母は死んでしまった。
母を助けられたかもしれないけれど、何も行動しませんでした。
だから、母は私が殺したのだと言います。

みさきさんの母のことを聞いて、
家福さんは、「僕が君の父親だったら、肩を抱いて君は何も悪くないと言う。しかし、そんなこと言えない。君は母を殺し、僕は妻を殺した」と言います。
みさきさんは、「はい」とうなずきます。

家福さんもみさきさんも、大切な人を失ってしまった過去があったのです。

感想④ この映画で語りたいことが二人のセリフにありました
ドライブ中に、ドライバーのみさきさんが母のことを話します。
家福さんが妻のことを話します。

そして、生まれ育ったところに着いた二人。
土砂で押しつぶされた家がありました。
その場所を目の前にして、二人が会話します。

みさき「家福さんは、音さんのこと。音さんのそのすべてを本当として捉えることは、難しいですか。音さんに何の謎もないんじゃないですか。ただ単にそういう人だったと思うことは難しいですか。家福さんを心から愛したことも、他の男性を限りなく求めたことも、何の嘘も矛盾もないように私には思えるんです。おかしいですか。ごめんなさい。」

家福「僕は正しく傷つくべきだった。本当をやり過ごしてしまった。僕は深く傷ついていた。気も狂わんばかりに。でも、だから、それを見ないふりをし続けた。自分自身に耳を傾けなかった。だから、僕は、音を失ってしまった。永遠に。今、分かった。僕は音に会いたい。会ったら怒鳴りつけたい。責め立てたい。僕に嘘をつき続けたことを。謝りたい。僕が耳を傾けなかったことを。僕が強くなかったこと。帰ってきてほしい。生きてほしい。もう一度だけ話がしたい。音に会いたい。でも、もう遅い。取り返しがつかないんだ。どうしようもない。」

家福「生き残ったものは、死んだもののことを考え続ける。どんな形であれ、それがずっと続く。僕や君はそうやって生きていかなくちゃいけない。生きていかないと。大丈夫。僕たちはきっと大丈夫だ。」

この映画のテーマとなる「過去を受け入れる」ことができた瞬間だと思いました。

感想⑤ 映画の中の舞台「ワーニャ伯父さん」の上演について
映画の中では、二つの舞台が登場します。
一つは、サミュエル・ベケットの戯曲「ゴトーを待ちながら」。
もう一つは、「ワーニャ伯父さん」。
こちらは、ロシアを代表する作家アントン・チェーホフによる戯曲です。

舞台は、普通とは少し違っていました。
多言語演劇というもので、日本語、韓国語、英語など、さらに手話も含まれます。
日本語を話す人は、日本語でセリフを言います。
韓国語を話す人は、韓国語でセリフを言います。
手話で話をする人は、手話でセリフを表現します。

舞台稽古のセリフの読み合わせも変わっていて、感情を入れさせずに行います。
とても違和感のある、不思議な感じです。

実際の舞台では、前方に大きなスクリーンがあり、そこに、それぞれの国のセリフが表示されます。
映画の字幕を見る感じです。

この舞台が映画の最後に登場するのですが、
登場人物は、“死”ではなく、“生”を選び、人生とは、幸せとは何かを考えさせられる内容で、映画のテーマそのものでした。

主人公の家福さんは、演出家であり、舞台俳優でもあります。
家福さんは、ワーニャ役を演じていましたが、妻の音さんが亡くなった後、降板していました。ですが、この時は、みさきさんとのドライブの後で、ワーニャ役を演じることができるようになっていました。

その舞台の最後の台詞が、ワーニャ伯父さんと姪のソーニャの会話なのですが、家福さんとみさきさんの関係にとても似ていました。

ワーニャ「なんてつらいんだろう。この僕のつらさがお前にわかるなら。」
ソーニャ(手話で)「仕方ないの。生きていくほかないの。ワーニャ伯父さん生きていきましょう。長い長い日々と長い夜を生き抜きましょう。運命が与える試練にもじっと耐えて、安らぎなくても、今も、年をとってからも、他の人のために働きましょう。そして最期の時がきたら、大人しく死んでいきましょう。そしてあの世で申し上げるの、私たちは苦しみましたって、泣きましたって、つらかったって、そうしたら神様は私たちを憐れんでくれるわ。そして、伯父さんと私は、明るくて、素晴らしい、夢のような生活を目にするの。私たちは嬉しくて、うっとりと微笑みを浮かべて、この今の不幸を振り返る。そうして、ようやく私たち、ほっとひと息つくの。私、そう信じてるの。強く、心の底から信じてるの。その時がきたら、私たち、ゆっくり、休みましょうね。」

感想⑥ ラストシーンの意味
「ワーニャ伯父さん」の舞台が終了し、場面が変わると、
みさきさんがスーパーで買い物をしています。
商品などの表示より、日本ではないことが分かります。場所は韓国です。
スーパーを出て駐車場へ。そこにあったのは、あの赤いSAABです。
車の中には、演劇祭関係者で韓国語通訳者のユンスさん夫婦のところにいた犬が乗っていました。
みさきさんが、車を運転して帰る映像がラストシーンでした。
寡黙で無表情だったみなきさんが、やさしい表情をしていました。

それは、驚きのラストシーンでした。
日本じゃない?韓国?
みさきさんの表情がやさしい。家福さんの車に乗ってる?
この犬は、あのときの犬では?
4人で明るく楽しい生活を送っているということだろうか?

マネージャー的存在だったユンスさんと奥さんは、韓国の方なので韓国に住んでいてもおかしくないです。
実は、奥さんはソーニャ役として選んだ俳優さんで、手話で演技をする方です。
舞台の稽古中に一度、家に招待されたことがありました。
みさきさんは、地すべりが起きた時の頬の傷を韓国で治療したのではないだろうか。
映画の中でも、もう少し目立たなくできるということを言っていたシーンがありました。
家福さんは、緑内障になっていて、運転は出来なくなると言われていたので、みさきさんが引き続き専属ドライバーとしていっしょにいるという可能性は大いにあります。
4人がいっしょに生活していても何の不思議もないと思いました。

ラストシーンになった瞬間、ずっと暗く重たい空気が流れていましたが、パっと明るさを感じました。
モノクロ映像からカラー映像に変わったように思いました。
そのくらいの開放感でした。
私の心もホッとする感じがあり、映画の世界から抜け出せた感じがしました。

ラストシーンにありがとうです。

・最後に
映画の内容を思い返せば返すほど、「よかったなあ」という思いがジーンとしてきました。
ここに書いていませんが、印象的なシーンはまだいくつもありました。
それは、監督の素晴らしさでもあり、俳優さん方の演技の素晴らしさでもあります。

苦しいこと、悩むこと、後悔することなど、大小問わず、闇のようなものはだれにでもあるかもしれません。
また、不条理なことに、モヤモヤ、イライラ、カリカリもします。
この映画では、過去を受け入れることで前に進むことができました。
でも、受け入れることは簡単ではないし、できない場合もあります。
そんな時は、、、。

ひとつひとつのできごとには、自分が正しいと思っても、他の人から見ると正しくないこともあったりしますし、その逆もあります。
結局、正しいことはないのかもしれません。
だから、目の前の人を信じて、“夢”を追いかけていきたいと思いました。
それが、“生きる”ことであり、“幸せ”に繋がるのではないかと思うのです。
そんなことを思った映画でした。

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