小樽 手宮線のこと

ごきげんよう

小樽の実家のすぐ近くにあった手宮線について書きます。

小樽は、北海道鉄道発祥の地です(明治13年、 1880年)。
現在の小樽駅があるのは函館本線ですが、それよりも先に手宮線という鉄道がありました。
港の端から街を東西に横断してレールが敷かれていて、途中から函館本線に合流していました。

その手宮線は、実家から100mほど海側に行ったところにあり、現在の函館本線の「南小樽駅」から出て、次が「色内仮乗降場」、そして終点の「手宮駅」と2駅しかない短い線でした。
実家から、函館本線の小樽駅は歩いて5分ほどのところにありますが、
手宮線の色内仮乗降場駅は、小樽駅に行くより近いところにありました。

私が小さかった頃は、小樽の繁華街の真ん中を蒸気機関車が黒煙をふきあげながら通りすぎていて、中心部にある踏切は、開かずの踏切に近いものがあったようです。
開かずの踏切についてははっきりした記憶がありませんが、蒸気機関車が走っていたのは覚えています。

客車もありましたので、手宮線を利用して札幌まで行くことができましたが、1962年(昭和37年)に客車扱いが廃止なりました。
私が8歳の時です。
隣に住んでいたお兄さんが東京に行くことになり、手宮線の色内仮乗降場駅から列車に乗るということでお見送りしたことをなんとなく覚えています。
それは、廃止になる少し前で、親について行ったのだと思います。

手宮線というと、客車扱いがなくなっても、貨物列車は走っていました。
日に何本が走っていたと思うのですが、今、列車が通っていると分からせてくれるのは、
毎日、夜の10時頃、通る列車でした。
何を運んでいるのか、よほど重たいものを運んでいるのか、その時間、貨物列車が通ると家が揺れました。昔の家は、木造の家でしたので、より揺れたのかもしれませんが、「何を運んでいるのかな」と親に聞くと、父が「石炭だよ」と教えてくれました。
昼は生活音や行動もありますので、時々しか感じないのですが、夜はほんとにすぐ側を通っているかのように家が揺れたのを覚えています。

小樽港は石炭の搬出港になっていたこと、貨物船からの貨物の扱い量も多かったことは、明治時代の小樽が書かれた書物には必ず載っていることです。
ですが、時代とともに貨物量が減少し、役割が済んだということで、手宮線は1985年(昭和60年)に廃止になりました。

現在は、旧手宮鉄道施設(現・小樽市総合博物館本館)は国指定重要文化財になっています。線路は保存されて日本遺産「炭鉄港」の一部となっているほか、散策イベントや観光にも利用されています。
小樽駅前の中央通りから寿司屋通りまでの500mほどは、オープンスペースとして整備されました。線路を残し、線路と並行して遊歩道になっています。
夏期に開催される『おたる潮まつり』の時や、冬のイベントの『小樽雪あかりの路』の会場としても活用されています。

以上です。

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