5月の私この頃です—断捨離継続中、そしてTVドラマから学んだ「清濁併せ吞む」

5月は、暑い日が多かったです。
関東では、真夏日が続いたり、猛暑の日もあり、異例の暑さに毎日熱中症関連のニュースが続きました。
身体がまだ暑さになれていないとのことで、思っているより身体には応えるとのことですが、確かにその通りです。
家の中にいても熱中症になるとのことですので、暑くて苦しいと思う時は、「もったいない」と思わずエアコンをつけました。

5月の満月ですが、
5月6日 19:16月出。
この日は、曇り空かなと思っていたのですが、午後7時半頃、オレンジ色の満月を見ることができました。
少し雲はありましたので、隠れたり、顔を出したり、これはこれで素敵な満月ショーとなりました。
大きい、大きい、満月でした。
次の日は雨になりましたので、なんとラッキーな幸せをいただいたのでしょう。

富士山ですが、
この時期は、頂上の雪も多少少なくなっている富士山です。でも、お天気がよくても見られる日が少ないです。
靄(もや)がかかっているというか、見通しが悪く、所沢市から富士山が見えないのです。
朝散歩の時間帯にいつも確認していますが、見られた時はうれしいですし、一日いいことありそうと思います。

断捨離の状況ですが、
先月から本気で断捨離に取り組んでいますが、今月も随分荷物の整理ができました。
今回、本当におもしろいなあと思ったことがありまして、
ネットで一度“断捨離”に関して検索したのですが、その後、次から次から関連する情報が私のパソコンに登場するのです。
そういうことは、以前から知っていたことではありますが、ほんとに感心してしまいます。
そして、タイトルを見て何が書かれているのかなと、ついつい覗いてしまいます。
保留にしている捨てられないものもまだまだありますし、そういうものへの対応方法などの情報は参考になります。処分せず利用する方法も教えてくれる記事もありました。
そして、「私と同じだわ」とか「ほんとにそうなのよね」とか思う内容もたくさんあり、読みながら笑顔になっています。
片付けに疲れたなあと少し飽きてきた時に、ネット記事で笑わせてもらい、アイデアなども頂戴し、また頑張ろうとエネルギーをもらっています。

TVドラマですが、
TVドラマが好きな私は春ドラマを毎日楽しく観ています。
春ドラマは、4月~6月に放映されるドラマですが、
木曜日、テレビ朝日 9時から「ケイジとケンジ、時々ハンジ」は、明るく、楽しく、面白く観ています。

「事件を捜査し、逮捕する刑事、被疑者を取り調べて起訴する検事、法に基づき判断を下すのが判事。これは刑事、検事、判事が、時に敵になり、味方になり、事件を解決するまったく新しい群像劇」

今までも、検事が主役、判事が主役のドラマはありましたが、3者が同時に登場するドラマが過去にあったかなと思っても、すぐには浮かんできません。
検事が被疑者を起訴するために、状況証拠などまだ調査が必要な場合、検事が刑事に要請(というより偉そうに指示です)があります。そういう場面は、キムタクの「HERO」にもあったかなという感じです。
刑事も検事も判事も登場するドラマは、それぞれの関係性がよく分かり勉強になります。ドラマとしては、とても新鮮です。
少しコメディーでもあり、全体に明るいのもいいです。

キャストは、
巡査部長 仲井戸豪太 (桐谷健太さん)
警部補  目黒元気  (磯村勇斗さん)
検事   二階堂俊介 (北村有起哉さん)
事務官  仲井戸みなみ(比嘉愛未さん)
判事   諸星美沙子 (吉瀬美智子さん)

もう一つ、
日曜日、TBS 9時からの「ラストマン」も楽しみにして観ているドラマです。
福山雅治さんが主演を務め、大泉洋さんが共演するドラマで、バディーを組んで難事件を解決するという刑事ドラマです。
福山雅治さんは、FBI捜査官の皆実広見という役で目が見えません。
大泉洋さんは、護道心太朗という犯人逮捕のためには手段を選ばない刑事役です。

このドラマの中のセリフで「清濁併せ呑む」というのがありました。
耳から聞いていた時は、「???何ていったのかな?」という感じでしたが、漢字で書くと「清濁併せ呑む」となります。その時の場面から何となく意味が分かりますが、調べてみましたら次のような説明がありました。

「清濁併せ呑む」とは、
「心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる、度量の大きいことのたとえ」

警察庁次長の護道京吾(上川隆也さん)(大泉洋さんの兄役)が息子の護道泉刑事(永瀬廉さん)に言った言葉なのですが、泉刑事はいずれ警察庁長官というポストにつくようですが、正義感だけでは上には行けないということをこの言葉で表現したのだと思います。

この言葉を会話などで使う際に間違ってはいけないのは、「清濁併せ持つ」でも「酸いも甘いも噛分ける」とは違うということ。
善と悪の面の両方持っていることではなく、善悪の区別なく公平に受け入れるという意味だということです。

ドラマからまた言葉の勉強をしたのでした。

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