5月の私この頃です—所沢航空公園へ散歩と「ノムラモミジ」、そして「コンフォートゾーン」という言葉を知りました

ごきげんよう

ゴールデンウィークも終わってしまいました。 特別なお出かけを計画しなかったのですが、高速道路は渋滞、行楽地も人手がかなり多かったようですので、自宅でのんびりしていて正解だったなと思いました。

それでも、お散歩がてら所沢航空公園に出かけました。
藤棚があるのでお花が咲いているかなとか、今はどんな花が咲いているかなとか思いながら行ったのですが、藤の花はもう終わった後で、その他の花もあまり咲いていませんでした。
でも、木々の緑を見るだけでもいいと思ったのですが、、、、、。
なんと、家族ずれの人たちがいっぱい来ていて、びっくりでした。
何度も来ている公園ですし、ゴールデンウィークにも来たことがあったと思いますが、今までで一番人が多いと思いました。
目に入ってくるのは、木々の緑より、人、人、人。
聞こえてくるのは、鳥のさえずりではなく、人の声ばかり。
お天気はよく、気持ちのよい気温でしたが、全然癒されず、早々に帰ってきました。

5月は先月より、視界に入ってくる緑色が随分多くなりましたが、
そんな中で紅葉のような、赤い色が目に入ってきました。
背丈以上に高い木で、朱色の葉と赤黒い色の葉で覆われていました。
そばに寄ってみましたら、葉の形から「もみじ」ではないかと思いました。
さっそく調べてみたところ、「ノムラモミジ」という「もみじ」でした。
葉が新しく出たときから赤く色づいていて、「もみじ」の品種の中でも人気があると書いてありました。
夏になると葉の色は緑色に変わり、秋には再び紅葉するようです。

写真は、どちらも同時に撮ったものです。
撮る場所、角度によって、こんなに赤の色が違います。
少し離れて全体を見てみると、風で葉が揺れるたびに朱色の部分がとても素敵に見えて、
華麗な「風格」を感じました。

いつも読んでいる精神科医・樺沢先生のメルマガにこんなことが書いてありました。

本を読む。
映画を見る。
いずれも、コンフォートゾーン(快適領域)を出るということ。
そして、新しい「視座」を得る、ということ。
今、あなたは苦しい。
それは、あなたの「視座」からの感覚。
別な「視座」から見ると、
「それほど深刻ではない」と思うかもしれない。
「複数の視座」を持つから、思考は柔軟になり、
「嫌な出来事」もスルーできるようになる。
スルーとは、「視座」の転換です。
したがって、「視座」が、1つしかない人は、スルーできない。
最近の樺沢の気付き。
だから、読書や映画を、強くお勧めする。
                             SNSからの引用

「コンフォートゾーン」とは、[快適な空間] を意味することで、心理学などでは、ストレスや不安が無く、限りなく落ち着いた精神状態でいられる場所を指します。
そして、コンフォートゾーンから抜け出し、快適さを多少感じながら自分に厳しくするバランスも大切とのことです。
「視座」とは、[物事を認識する時の立場]という意味です。
どちらも見たことも使ったこともない言葉です。
それでも、メルマガの内容は分かる気がしました。

たとえば、家の中にいて、テレビをつけず、音楽も聴かず、パソコンに向かっていると、聞こえてくるのは、マウスのカチという音とキーボードをたたく音と、外から聞こえてくる車の走る音。
その空間は、集中が出来てパソコンの作業も捗るので私には必要な空間なのですが、その空間にずっと居ると、他に何もない自分だけの世界を感じ、現実とは違うという違和感を覚える時があります。
それは、嫌な気分でその空間から抜け出た方がよいという気分になります。
そんな時は、パソコンの作業を中断し、テレビをつけたりします。
場合によっては、外に出て視界を変えたりします。
そうすると、現実の世界に戻ったような気持ちになります。
うまく説明できませんが、「視座」というものが、複数あるのは重要なことだと思います。
複数の「視座」があると、いろいろな空間(世界)とふれあえますし、自分の気持ちを現実の世界に戻すことをコントロールしやすくなるのではないかと思いました。

こんなことを考えるのは、テレビドラマの「パンドラの果実」の中に出てくる、仮想空間との錯覚とか、脳の錯覚とか、どこで生きているのかと問うセリフとか、ドラマに感化されているのかもしれません。

我が家の胡蝶蘭ですが、ついに蕾が全部開花しました。
今年は、10個の花が咲きました。 ほんとに品のある姿です。

「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」と言いますが、
胡蝶蘭は、パリコレのモデルポーズでしょうか。
そんなことを思ったのでした。

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