パソコンに出会うきっかけとなったOMC(パソコン通信)

ごきげんよう

これは、小樽での私物語です。
私が初めてパソコンを購入したのは、30代前半(35年前)、小樽で働いていた時に、職場の人に勧められてパソコン通信を始めた時でした。
パソコン通信の説明は、私の言葉では説明できませんので、ウィキペディアから引用します。

ウィキペディアより:
パソコン通信(パソコンつうしん)とは、専用ソフト等を用いてパソコンとホスト局のサーバ(またはノード、ホスト)との間で、通信回線によりデータ通信を行う手法及びそれによるサービスである。
全盛期は1980年代後半から1990年代で、のちにインターネットが一般ユーザーに開放されたため、徐々に衰退していった。商用大手としては最後まで残っていたニフティが、2006年3月末でパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」を終了した事で、パソコン通信は事実上廃止となった。

日本でパソコン通信ホストを運営していた団体・企業には、ニフティサーブ(@niftyを経て現・ニフティ)、PC-VAN(現・BIGLOBE)、アスキーネット(アスキーによるサービス、後にネットワーク事業から撤退)などに代表される商用業者を始めとして、エプソンなど顧客サービスを目的としたものがあった。またそれ以外に個人やグループなどで開設した草の根BBSと呼ばれる小さい局が多数存在していたが、ニフティサーブとPC-VANの二大ネットは、それぞれ数百万の会員を集め、活況を呈した。

一方の草の根BBSはパソコン、ホスト用ソフト、着信用のモデムと通常電話回線、それに書籍から十分仕入れられる比較的簡単な技術知識があれば誰でも開設可能であり、原則無料であったが、一般向けに料金を徴収するなどの商用サービスであれば第2種電気通信事業に該当するため、当時の郵政省への届け出を必要とした。

私が入会したパソコン通信は、「OMC」という名前の草の根BBSでした。
        [ OMC:オタル・メディカル・コミュニケーション ]

私立小樽病院の整形外科の医師(K先生)が運用する医師グループによる医療専門のパソコン通信網でした。
私に勧めてくれた職場のFさんは、アマチュア無線マニアでしたが、電気店に立ち寄った時に「OMC」への入会案内のチラシを見て興味を持ち入会していました。その後、なぜ、私に勧めることになったのか、その理由は覚えていませんが、もしかしたら、職場の人たちに「OMC」のことを話した時に、私だけが興味を持って入会することになったのかもしれませんが、私もその「OMC」に入会することになりました。1986年のことです。

パソコン通信をするためにはパソコンを購入しなければなりません。当時は高価な買い物でしたが、独身の私には躊躇することもなくすぐ購入していたように思います。購入してもセッティング、「OMC」と繋げるなど、何をどうしていいかわかりませんでしたが、Fさんが家まで来て、全部整えてくれたのを覚えています。
パソコンとの付き合いがこの時からスタートしたのでした。

私が入会した時、「OMC」の会員は医師や病院のスタッフなど含めて、何名かの方がたがいましたが、Fさんと小樽市内に住むアマチュア無線仲間やプログラマーの方など6~7人が、「OMC」の中心的メンバーになり、ホストシステムのメンテなども含めて、開設者K先生の協力者となりました。その中に私も加わっていたわけですが、私の役割はただそこにいるだけでした。

「OMC」の本来の目的やK先生の目指すものは、時間や場所を拘束されることなく、医師同士がいつでも意見交換をしたり、患者さんの状況を話し合えることができること。最終的には、患者さんの情報が一括管理されていて、いつでも必要なときにパソコン通信で引き出せる。そういうものだったと思います。
K先生は、こちらの目的達成のために動いていたと思いますが、私はそれとは別に「OMC」の中の「待合室」などの、だれでも自由に好きなことを書き込みできる場所を覗いて楽しんでいました。

「OMC」の会員は、1年後に100人、3年後に300人ほど、5年後には1000人になっており、医療関係者以外が3分の2を占めていました。

あの当時の通信手段は電話だけです。携帯電話もない時代です。
電話は、電話した時に相手がいないと話をすることはできません。また、逆にこちらの都合に関係なく突然電話がかかってきて、仕事中や手が離せない時などはとても困ります。でも、パソコン通信の電子メールは、こちらが書きたい時に文章を書いて相手に送っておく、相手は、都合のよい時にそのメッセージを見ればよいのです。今は、携帯もありますし、メールやLINEもありますが、その当時は、とても便利な通信手段だと思いました。

「OMC」の中には、コーナーがいろいろありました。
「診療相談」「医学一口メモ」「医療フォーラム」「待合室」「タウン情報」など。

「待合室」を覗くと、会員の方の書き込みを読むことができます。
その当時は、写真のアップなんてできませんし、あくまで文字入力だけです。ひたすら、書き込みされた文章を読んでいました。
時には、その内容に対する意見や感想を書き込みすることもありましたし、私の方からの情報配信もしていました。
私の趣味が「OMC」といった感じで、パソコンばかり見ている毎日になりました。

「医療フォーラム」では、誰かが何かのテーマについて書き込みすると、すぐ、数名の人からそれに対する意見などが書き込まれます。「言いたいことが言える雰囲気がある」とのことで、とても盛り上がっていました。時には、ホスピスについて、死について、がんについて、など、重たいテーマもあったことを記憶しています。

「OMC」の中での繋がりだけではなく、オフ会も行われました。忘年会は毎年行われていて、小樽市内の会員だけでなく、札幌からも出席していました。冬は泊まりがけでニセコにスキーにも行きました。

直接会っての話は、メインは「OMC」に関係する話なのですが、時にはそれぞれのプライベートのことを聞かせていただいたりして、楽しい時間でした。
忘年会などは、あっという間に札幌に帰る方々の終電の時間になりましたし、残った人たちはお店のご好意もあり、いつも閉店までおしゃべりしていました。

今はもう存在しないパソコン通信・「OMC」について、なぜこんなに言葉を並べて書いているのかと言いますと、私は、この「OMC」との関わりで多くの社会常識と知識を得て、成長させていただきました。
パソコンの世界を知り、年代の違う人との交流、職業の違う人との交流。
メンバーの方の趣味の話から、バロック音楽やマーラーの曲など新しいことを知るきっかけにもなりました。
異文化体験とも言えるこの体験が、私を大きく変えてくれました。ファンタジー体験の一つといっても過言ではありません。

そもそもが、専門外のパソコンの世界との遭遇。
最終的にパソコンオタクにもプログラマーのような専門家にもなりませんでしたが、その後の仕事には大きな宝物となりました。また、現在、この年齢で、同年代の人の中ではパソコンの知識があるほうだと自負していますし、ブログを始められたのも、「OMC」との関わりがあったからというのは間違いありません。
今、パソコンの前に座っている原点は、「OMC」との出会いなのです。

因みに、「OMC」の開設者のK先生は、現在は、小樽市内の病院で整形外科医をされています。
今年の年賀状には、“フルタイム現役です”と書かれていました。
私より7才ほど年上だったと思います。お元気でなによりです。

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