ごきげんよう
近くに少し大きい木があります。
腕を回すと(実際は回したりしませんが)手の先が触れるほどの大きさで、その木の前にくるとセミの鳴き声がよくしています。先日もそうだったので、枝のすき間からセミを見ることはできるのかしらと木の上の方に目をやると、なんと顔を上げたすぐ目の前の樹皮にセミがとまっているのです。こんな下にとまっているんだ、と驚きましたが、それが一匹ではなく、五匹もいてもっと驚いてしまいました。
その日から、その木の前を通るたびに鳴き声がしなくてもセミがいるかしらと見るようになりました。
札幌の親戚の家には、りっぱなお庭がありました。
大きな木もありました。
小樽に住んでいた頃、毎年、お盆の時期は、お墓参りをして親戚の家に寄るのが通例でした。
ある時、小学生の低学年だったと思うのですが、甥っ子も親戚の家に来ていました。
庭に出て大きな木の側でじっと木の上を見ているのです。けっこう長い時間です。姉に「さっきからずっとあそこにいて、木の上を見てるけど何をしてるのかしら」と聞くと、「セミを見つけているのよ」とのこと。
しばらくして、甥っ子が家の中に入ってきて、「見つけられなかった」と言っていました。
私は、虫のことは全然詳しくないですし、興味もあまりないのですが、セミについては、鳴く声がしても木に止まっている姿を見ることは難しいんだと、この時、頭にインプットされたのでした。
所沢に来てから、この時期、バタバタしている死にそうなセミや死がいも道端にあったりしますので、セミと遭遇することは毎年あります。でも、木に止まっているセミは見たことがありませんでした。見られるものではないと思っていました。そもそもセミが好きなわけではありませんので、木に止まっているセミを見つけようと思ったこともありません。ですが、実際止まっているのを目の前で見たら、びっくりもしましたが、感動もしました。
それは、セミに会えたことに感動というより、見れないと思っていたものが見れたということへの感動でした。