10月の私この頃です—今年もMLBのポストシリーズを応援しました。そして、NHKの番組で小樽が出ていて懐かしかったです。

ごきげんよう。

今年も米大リーグのポストシリーズを応援しました。
大谷翔平選手のいるドジャースは、3連覇の達成を目指してがんばりました。
ですが、結果は、地区シリーズ優勝まででした。

今年の大谷翔平選手は、ケガもあり、投手として最後まで投げられず、打者としても元気がありませんでした。
負傷者リストにも入りました。
ポストシリーズには復帰していましたが、いつものような野球小僧ではありませんでした。いつまでも野球小僧というのもおかしいかもしれませんが、みんなに“勝つぞ”のエネルギーを注入するあの元気な姿を私は見たかったです。

地区シリーズ戦、ブレーブスとの3戦目は、5番・DH での先発出場でした。
いつもは、1番ですから“打順降格”?びっくりしましたが、変更の意図の狙いについては、ロバーツ監督が「相手チームのセール投手が手強い投手で、そのため、上位の打者が出塁する可能性を高くして、試合の勝負どころで大谷に打席が回ってくる展開を期待している」と作戦であることをコメントしていました。
この時に限った措置とのことでしたが、期待されていることを感じました。

優勝した地区シリーズの次は、ナ・リーグ優勝決定シリーズです。
ブルワーズとの第4戦は逆転負けでした。
この時の試合は、勝てると思ったのですが、負けました。
2回裏、大谷選手が3ランを打ったのです。打った瞬間にバットを放り投げて絶叫して感情をむき出しにしました。絵になるスターです。約2カ月ぶりの本塁打です。
野球小僧が戻ってきたと思いました。
本拠地は大きく盛り上がりました。

でも、でも、でも、先発グラスノーが4失点で降板。相手は一発でさらに追加しました。
ドジャースは、追加得点もなく、ゲームセットになりました。
ナ・リーグ優勝決定シリーズは、1勝もできず4連敗でシリーズ敗退でした。

ドジャースの試合は、今シーズンこれで終わりです。
最後に大谷選手の雄叫びを聞かせてくれてありがとう、でした。

お昼の12時30分から、NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」の再放送をやっています。時々見ることがあるのですが、12日に放送されていたのは、「にっぽん縦断 こころの旅 プレイバック 2014 とこちゃん 353日目 小樽市」でした。
テレビの画面に小樽の文字が出てきてびっくりしました。
小樽は私の出身地です。
懐かしい気持ちとどこが映るのだろうとワクワクしました。

NHKの「にっぽん縦断 こころ旅」:
お手紙に書かれたエピソードをもとに、ひとりひとりの心に大切にしまってある「こころの風景」を自転車に乗って訪ねる番組です。
旅人は、火野正平さんでしたが、2年前に亡くなられました。
独特の語り口や、訪れた土地の人たちとの自然なやりとりが素敵でした。
現在は、蔵出しスペシャルということで、火野正平さんの再放送が放映されています。
2代目旅人は、女優の田中美佐子さんです。
11月より「2026年秋の旅」として北海道からスタートするそうです。

今回取り上げられていたのは、小樽で有名な坂道「地獄坂」と「商大」でした。
小樽商科大学へと続く坂が「地獄坂」で、名前の通り大変な坂なのです。

実は、私が小樽で働いていた職場が、この「地獄坂」のスタート地点に近いところにありました。
小樽で最初に咲く桜が、小樽警察署の桜なのですが、その警察署が始めに映っていました。
警察署は、職場のすぐ近くでした。
そんな身近な場所がテレビに映っているのを見て、懐かしさもひとしおでした。
故郷を離れ、今は所沢で暮らしていますが、こうしてテレビを通して小樽の風景に出会えるのはうれしいものです。遠く離れていても、やはり生まれ育った街は特別な存在なのだと思いました。

故郷の小樽を観ながら、昔を懐かしく思い出したひとときでした。

小樽市のホームページに
「おたる坂まち散歩 地獄坂と小樽商科大学」という記事が載っていましたので引用します。

小樽で地獄坂というと、前号で紹介した小樽警察署前の坂のほかに、小樽商大に至る商大通りがあります。明治45(1912)年2月23日の「小樽新聞」には、この通りが地獄坂という名で登場しています。
この地獄坂の名の由来は、小樽商大の草創期の歴史と切り離すことができません。
小樽商大の始まりである第五高等商業学校が開校したのは明治44年。まちを挙げての学校誘致の成果でした。12,000坪の敷地は地主たちが寄付し、建設費37万円のうち20万円は小樽区債により賄われました。小樽区の年間予算が30万円でしたから、この金額がいかに巨額だったかが分かります。
渡辺龍聖(わたなべりゅうせい)が初代校長として着任したのは同年2月。当時は緑第一大通りから上には家がなく、「荒涼たる無人境の観」があったと彼は記しています。
地獄坂の深い雪をこいで上り、たどりついた渡辺校長が見たのは、校舎に黒板、いすや机すらないありさま。今後の苦難が思いやられました。
開校当初は教授、学生の住む家もなく、教授陣は直行寺(じきぎょうじ)で合宿し、学生は雨天体操場を仮寄宿舎として生活し始めました。全国から集まった一期生72人は、冬は深い雪の中を泳ぐように、そして夏は暑さに汗をかきながら、坂を上って通学しました。こうして学生を苦しめた坂は、開校当初から地獄坂と呼ばれるようになったといいます。

今月の一枚。

アクセサリー類を整理しましたら、かわいいブローチがいっぱい出てきました。
かなり前からネックレスもペンダントも全くつけなくなり、ブローチももう数年つけていません。
たぶん、これからもつけることはないかなと思いつつ、しまっておくのに、ハンカチにつけてみました。
忘れていたブローチもありましたが、つけていた頃のことを思い出しながら整理をしました。
左側は、べっ甲やオパールや七宝焼きなどで、正装やおしゃれする時につけていたもの。
右側は、キャラクターや動物などかわいいものなどで、カジュアル用につけていたもの。

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